- 2008/09/23(火) 14:17:43|
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建設信頼性技術研究所
代表者 大垣 昌之
景気対策としての公共事業から、地方に役立つ建設業を推進しようと立ち上がった大垣代表。これまでの建設業からの脱皮を図り、異業種との融合も推進する。また改革の戦力には、シルバー世代に期待。高齢者の雇用対策としても、その社会的意義は大きい。
吉沢 まずは大垣代表の歩みを。
大垣 愛媛県の西条市出身です。戦後、新幹線の父と言われた旧国鉄総裁・十河信二氏が市長を務めたところです。大学卒業後は上京して中堅ゼネコンに就職。9年後、大学の先輩に、「これからは“造る時代”から“直す時代”になる」と言われたことがきっかけで転職。15年ほどそちらに在籍して知識を重ね、建設事業に関するコンサルティングという職業に就いたのです。
吉沢 阪神・淡路大震災では、壊れるはずのなかった構造物が崩壊しました。その辺りから、土木や建設のあり方が見直されるようになりましたね。
大垣 そうですね。それに、景気対策としての地方の公共工事に積極的に取り組んできた行政は、補修に関しては然るべき手を打たなかった…そのことには、私も疑問を感じていました。補修の技術を地場の業者に提供しましたが、「技術」という目に見えないものだったことなどが弊害となりました。それを目の当たりにした私は基本から学び直そうと、高知工科大学の社会人プログラム修士生として、再勉強を続けています。
吉沢 具体的にどういった勉強を?
大垣 これまでの建設や土木といったジャンルを越え、社会システムの見直しをし、実業に貢献する学術体系を作ろうとしているのです。高知工科大学の草柳俊二教授は、国際建設プロジェクトマネジメントを専門とされています。知識を学ぶだけでなく学問を社会に結び付けるという発想が根底にあり、非常に良い勉強をさせていただいています。
吉沢 現役の大学生として勉強しながら、会社を立ち上げられたのですね。
大垣 はい。平成17年の10月に、当社は高知工科大学・建設信頼性技術センターのサテライト企業として設立しました。東京都からは、これから先有望な事業として認められ、ベンチャー支援施設を借りて活動を行なっています。所員は私と非常勤の研究員4名。大学在籍中の現在は、基盤作りの時期と位置づけています。建設事業に関するコンサルティングは、これからもニーズは高まっていくと思いますから不安は感じていませんが、いかにして技術を正確に教えられるかを今後の課題にして、自己研鑽を積んでいくつもりです。
吉沢 御社が提案されている「新建設業」とは、具体的にどういったもので?
大垣 従来の建設業に、例えば電気や機械、化学、電子、微生物などの他の業界を融合させた事業形態です。発想や目的も、より広い業域に広がる─「新建設業」の目指すものは、社会貢献度の高い公共性の強い働きなんですよ。
吉沢 既存の公共工事と違う点は?
大垣 これまでの公共工事には、地方の経済を支える役割が多分にありました。不況になると工事が発注され、建設業から潤うという仕組みです。しかし建設業とはもっと、社会システム全体として公共のために尽くすべきではないかというのが私の考え。改革は非常に大きな夢ですが、現在は草柳教授にご協力をいただいています。さらに10年スパンで計画を立て、まずは地方自治体に利用してもらえるようなモデル事業を興すことを計画中。学術者と現場の仲介者として、建設業界に楔を打ち込む所存です。
対談を終えて
「より広く公共の益となる建設業界の体制を作っていく─非常に雄大な計画に思えますが、大垣代表のお話をお聞きしていると、未来が開けるような気持ちになりました。確かに、天下りや談合など、建設業界には不透明な部分も多く、計画性のない開発によって維持や管理の負担が増大している地域も多いと聞きます。代表が、建設業界を変える先駆者となられることを、期待しています(吉沢京子さん・談)」
- 2008/09/22(月) 14:16:23|
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株式会社 ガーデンアート
代表取締役 西野 功芳
ガーデンデザイン・施工を手掛ける『ガーデンアート』。社長の西野氏は、良質な石を使用したオブジェや古い灯籠を現代風にアレンジした創作灯りを手掛けるなど多彩な才能の持ち主。顧客の建物に合わせた、オリジナリティー溢れる庭を提供している。一般家庭から公園、寺社までを手掛け、幅広い層からの支持を得ている同社を女優の大沢逸美さんが訪ね、西野社長にお話を伺った。
大沢 『ガーデンアート』さんでは、ガーデンデザイン・施工を主に手掛けておられるそうで。西野社長がこのお仕事を始められたきっかけは?
西野 もともとものづくりが好きだったんです。始めた当初はごく一般的な知識しかなかったのですが、“何も無いところに空間をつくっていく”というこの仕事の面白さにどんどんのめりこんでいきました。企業に就職して経験を積んだ後、理想の庭づくりを目指し独立しました。
大沢 社長にとって理想的な庭とは?
西野 近所の人が集まって井戸端会議をしている横を、親に怒られながら走り回っていた──そんな子どものころの思い出に残っている庭が、本来の庭だと思うんです。様々なことに利用できる庭、子どもが自由に遊ぶことのできる庭が理想ですね。また、人の真似をするのが嫌いなので、他にはないオリジナリティー溢れる庭づくりを心掛けています。
大沢 なるほど。“自分だけの庭”を持てるのですね。
西野 現代人は忙しい毎日の中で、庭を眺めて一息つくような時間の大切さを忘れがちだと思うんです。敷地の中のほんの一角のお庭づくりでも、喜んで施工させていただいています。少しでも癒しを感じていただきたいですね。また自らつくった石のオブジェを配置したり、古い灯籠を現代風にアレンジした創作灯りなども手掛けており、お陰様で若い世代の方たちからもご好評いただいています。
大沢 アイデアが豊富ですね。オブジェも拝見させていただきましたが、とても個性的で素晴らしいと思いました。
西野 ありがとうございます。私のつくる庭は、同業者から驚かれることも少なくないんです。10年前に皆から首をひねられたような庭が、今になって流行っていたりしますからね(笑)。
大沢 時代の先を行っておられるんですね。庭づくりの上で大切なことは?
西野 勉強して知識を得るのはもちろんですが、一番大切なのは想像力だと思います。普段から街に出ていろいろなものを見たり、有名な庭を訪ねたりして感性を磨くように心掛けています。
大沢 それでは今後の展望を。
西野 これからもお客様に末永く大切にしていただける庭をつくっていきたいと思います。また、大好きな石の魅力を皆様に知っていただくため、講習会なども開いていければいいですね。
大沢 ありがとうございました。
対談を終えて
「『何年か経って訪ねたお客様が、庭を大切に手入れしてくださっていた時は、何物にも代え難い喜びがある』と語る西野社長。お仕事への深い愛情が伝わってくる、楽しいお話が聞けました。これからも頑張ってください(大沢 逸美さん・談)」
- 2008/09/21(日) 14:14:11|
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株式会社 テックダイナ
代表取締役 竹内 弥能(浜松市細江地域協議会委員)
足跡:静岡県浜松市出身。建設基礎工事業を営む家庭に育つが、自身は高校卒業後、自動車の整備士を志して工業高校の機械系の学科に進学する。その後、転職を経て父の下で仕事を始める。修業を重ねた後、二代目に就任した。
●一流──それは周囲に感動と元気を与えられる人
モットーは「自分良し、相手良し、皆良し」と語る竹内社長。自分をとりまく全て人が良くなるような働きをしたいというのが、自らの原動力そのものとも言える。そんな社長が目指す自らのビジョンは、「一流の人」。社長が考える「一流」とは、「周囲に感動と元気を与えられる人」だという。たとえ有名でなくてもいい、立派な人だと社会に認められなくてもいい、ただ「一流の人」になりたい──。そう願う社長の歩みは、そのまま周囲に貢献する歩みそのものとなっている。
総合建設業を柱に据えつつも、新たな事業への進出を図る覇気の高い「テックダイナ」。地方の建設業が淘汰の時代を迎えたと認識する竹内社長は、これからはリスク分担型の戦略で生き残りを賭ける方針だ。地域活動にも積極的な竹内社長は、仕事の意義を「貢献」に見出し、「自分良し、相手良し、皆良し」をモットーに日々邁進している。
三ツ木 竹内社長のこれまでの歩みをお聞かせください。
竹内 少年時代は「悪ガキ」で(笑)、随分と周囲を困らせたものです。しかし中学生からは陸上部に入り、部活動に打ち込むようになりました。将来のことについて真剣に考え始めたのもこの頃でした。
三ツ木 何か志すものがおありで?
竹内 自動車が好きでしたので将来は整備士になろうと考え、浜松工業高校の機械科に進みました。父が建築の仕事をしていましたが、兄がすでに建築分野に進んでいたため、私は別の道を選んだのです。
三ツ木 それがどうして、このように建築の道に戻ってこられることに?
竹内 どうしてでしょう(笑)。高校卒業後は専門学校に進み、一層専門的に自動車整備の勉強をしたのにもかかわらず、なぜか建設機械を扱う会社に就職したのです。その後結婚を機に退職し、父の会社を手伝うように。23歳の時でした。
三ツ木 その頃、お父様はどういったお仕事を手がけておられたのですか。
竹内 個人事業の形で、建築物の基礎や土木を請け負っていました。私自身は右も左も分からない状態で、10年の間は実務と夜学に通って勉強し、資格の取得に努めました。経営を任され会社にしたのは平成2年のこと。ちょうどバブル経済が破綻した頃で、後継から何年か経つと、次第に顧客の減少などにその影響を受けるようになっていきました。
三ツ木 建築業界はどこも苦戦を強いられていますね。その中で、竹内社長が取り組んできたこととは何でしょう。
竹内 先代の頃の基礎と土木の事業に加え、建築・設計や上下水道に業域を広げていきました。生き残るためには、お客様にとって「便利」な存在になること──他との差別化を図る必要があります。そのことを念頭に、自分たちにできるだけのことをしようと、よろずやのような存在、つまり建設業を基盤にさらに、他業種にも対応することを目標としてきました。そこで「テックダイナ」に社名を変更したんですよ。
三ツ木 「テックダイナ」の由来とは?
竹内 「テックダイナ」は「テクニカルダイナミクス」の略なんです。技術を駆使して大きくなるように、という願いを込めて、成功されているある方につけていただきました。実は私の名前も、戸籍にある本名とは違うんですよ。運気が上がるようにと、同じ方に命名してもらいました。私自身については、運気は好転しました。会社もきっと、運気が上がると信じています。
三ツ木 非常に前向きでいらっしゃるのですね。
竹内 6年前に、大きな転機がありましてね。その頃私は、静岡県商工会青年部連合会の会長を2年間務めさせていただいていました。関東地区では副会長を、全国では理事として活動し、様々な地方、業種、年齢の人と交流を持ちました。その経験は、私の視野を広げてくれました。地元の中だけに生きていると、どうしても視野が狭くなります。違う土地、違う職業で生きている人たちとの交流は、新しい視点を持つのに、大きな刺激になりましたね。そして、自分が40歳、50歳になった時にどうなりたいかというビジョンを持つようになり、何事にも前向きに歩いていきたいと思うようになったのです。
三ツ木 具体的にはどういったビジョンですか?
竹内 現在の建設業界だけでなく、幅広い活動で社会に貢献していきたいということです。「仕事」というのは、言い換えると「貢献する」ことじゃないかと思うからです。それはもちろん仕事だけに限りません。プライベートの人間関係においても常に心がけているのは、「自分良し、相手良し、皆良し」の精神。自分だけが良くてもいけない。相手と2人だけでもいけない。社会からの評価も加わって、世間からも良く思われるのが本当の良い行いであるという意味です。周囲全てが幸せになるよう、できる限りのことをしたいですね。有名でなくても一流の人間になる──それが私の目標です。
三ツ木 ぜひ頑張ってください!
自らの人生に誇りを持って
「仕事とは、貢献することだと思います」──そんな言葉で、自らの信念を語る竹内社長。静岡県商工会青年部連合会の会長を2年間務め、様々な人と出会う中で視野を広げたという社長は、自身を見つめ直して仕事への意義を見いだした。それが、仕事や自身の価値は、「貢献する」ことで生まれるというものだ。現在社長は、自らの動きが何らかの形で、周囲の人を幸せにし、また周囲の人に感動と元気を与えるものでありたいと願っている。そんな社長の行動指針となるのは、「自分良し、相手良し、皆良し」の精神。自分だけ、また相手と2人だけが良くてもいけない。社会からの評価も加わって、世間からも良く思われるのが本当の良い行いである──自らの経験から得たその言葉に従って行動することが、会社の発展にも繋がっていくのだと社長は日々実感している。そこには、「仕事とは、貢献すること」という確かな基盤があるからだ。
対談を終えて
「自分は特別な人間じゃない、だけどできる限りのことをして“一流”の人間になっていきたい──そうおっしゃった竹内社長の真摯な眼差しが、とても印象に残りました。少年時代は色々と無茶をされたそうですが、そういった経験も全て、今に生きているのでしょうね」(三ツ木清隆氏・談)
- 2008/09/20(土) 16:13:11|
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守田靖昭事務所
土地家屋調査士 守田 靖昭
今日までの守田先生の歩み──
昭和43年、北九州市小倉北区で誕生。実家が洋服店を営んでいたため、学校卒業後はアパレル関係の経験を積もうと、大阪で働くように。衣料業界の不振を受け、技術職に注目するようになった頃、福岡市での転職活動の際に偶然目に入った測量事務所で働くようになり、測量士と土地家屋調査士の資格を取得。
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●人の心にある土地の意味を考える
地権者一人ひとりの土地に対する意識は異なる。ある人にとっては土地は、土地というスペース以外の何ものでもない。けれど、ある人にとっては先祖から受け継いだ精神的な拠り所、あるいは人生の中で重い意味を持つ場所ということもある。人の心にある土地の意味──仕事の上では、それを常に意識して、誠意ある対応に努めているという守田氏。依頼者の身上を十分に汲み取ると共に、正確な業務を追求し続けることでスペシャリストとしての責任を全うしている。
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土地の境界の精査や境界線を特定し、地目や面積などを明らかにしたり、登記業務を手掛ける土地家屋調査士の業務は、一般的に人の目に触れることは少ない。けれど、大切な不動産という財産を守る重要な職務を帯びている。「誠実な姿勢と確実な調査を追求したい」と語る、守田氏の信念に迫る。
渡辺 守田先生の、幼少の頃の夢は何ですか?
守田 俳優を目指していました。小学校の卒業文集にもそう書いたのですが、なんと「S・マックイーンのような映画廃優になりたい」と書いていまして…。“俳優”を“廃優”と間違っていた時点で、夢破れていたと言えますね(笑)。実家が洋服店を営んでいたことから美容学校に進学し、卒業後、大阪に行きました。アパレル業界で修業を積み、舶来ものを取り入れながら家業を大きくしようと考えていたのですが、次第に業界全体の景気が落ち込み始めたことから、違う道を考えるようになりました。特に、手に職をつけたいという思いが強くなってきたのです。
渡辺 現在の土地家屋調査士になるまでには、大きな方向転換を経験されていたのですね。では、それから転職活動を?
守田 はい。しかし、当時23歳だった私にとって、転職活動は非常に厳しいものでした。学歴も職歴もない、ただの若いだけの人間は、企業にとって使いようのない存在だということを、転職活動で痛感しましたね。経験者が優遇されるばかりでなかなか仕事が決まらないある日、偶然目に入った「栄和測量」の求人が、今の私のルーツになります。そちらでの面接では、資格や経験よりもやる気だけを問われましてね。測量の仕事に必要なことは全て、ゼロから教えてもらえることになったのです。そして実践を通して勉強を重ね、測量士と土地家屋調査士の資格を取得。現在は土地家屋調査士として独立した事務所を構えていますが、測量士としてはまだ、「栄和測量」とともに歩んでいます。
渡辺 専門職の中でも土地家屋調査士というお仕事は、「縁の下の力持ち」という性格が強く、多くの人にとって日常生活では殆ど縁がないですよね。具体的に、どういった業務を行っておられるので?
守田 確かに地味な仕事には間違いないですね(笑)。簡単に説明しますと、土地の境界線などを明確にし、土地の面積やその地目などをはっきりとさせるのが業務になります。最近では、若い頃に地元を離れた若者が、両親の逝去により相続が発生した土地の調査を依頼することなどが多いですよ。境界線などの認識が曖昧で分からず、相続問題が残ってしまうのです。塀があるなど、わかりやすい物件は問題ないのですが、故郷を離れている間に造成があったり、昔から境界線が曖昧なままの場所だと、綿密に調査する必要があります。そうなると私共の出番。資料などを基に精査し、境界線があるべき地点を提示するのです。あるべき場所に境界線を入れる──杭を入れてしまえば、安全な土地として取引もできますし、隣接する土地の所有者との紛争も、未然に防ぐことができます。
渡辺 お仕事の上で配慮されていることは?
守田 関係者の方々に納得してもらえるまでお話を続けることと、依頼者の気持ちを大切にすることです。先祖から受け継いだ土地を、ご先祖様と同じくらい大切に感じている人にとって、土地のトラブルで受けるショックはかなり強いですから、どういった場合にも、そこに関わる人の気持ちを大切にした対応を心掛けています。また、「お金に負けない」、つまり公正で誠実であるという点も、大切です。同業者間の競争が激しくなると、安売合戦に走り、仕事の手を抜くという選択肢も見えてきてしまうのです。しかし、それは絶対にしてはなりません。だから私共では「料金」ではなく、「質」を評価されてお客様に選ばれる、妥協しない業務を追求しています。現在は、およそ100年ぶりに不動産登記法が改正され、また司法制度改革の余波で、仕事の環境が変わりつつあります。今後は、常にお客様を第一に考えるという精神は忘れずに、どのような状況になっても対応できる態勢の確立を目指し、努力するつもりです。
不動産登記法改正による、変化を見据えた対応を
約100年ぶりに不動産登記法が改正され、土地家屋調査士の世界に大きな変化がもたらされた。これまでは法務局などの登記所への申請が土地家屋調査士の主体業務であり、申請書類に間違いがないかどうか、登記官が現地調査を行うなどした上で、書類の瑕疵の有無を確認して正式な登記が行われていた。しかし、法改正後は提出された文書に詳しい書類や写真が添えられていれば、登記官による確認調査を省略できるという項目が加わったという。つまり、ケースによっては土地家屋調査士が、全ての責任を負うことになるのだ。
「守田靖昭事務所」の守田氏は、法の改正により登記手続きが短縮され、地権者にとってメリットとなると共に、コスト削減という側面で、登記所の利益にもつながるだろうと語る。だが、同時に土地家屋調査士自身が担う責任は今後、これまでと比較にならないほど重くなる。故に守田氏は、確実な業務実現のために、そして時代と共に変化していくために、柔軟性を大切に努力を続けていく構えだ。
対談を終えて
「土地に対する所有者の心情や、積み重ねられてきた歴史をも大切にされる守田先生の姿勢は、素晴らしいと思います。役所が関わる業務はどうしても事務的な対応になりがちですが、人を主人公としたお仕事を、依頼者のために全うしようとする先生のまっすぐな姿勢に、強い感銘を受けました」(渡辺めぐみさん・談)
- 2008/09/19(金) 16:10:05|
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株式会社 タキグチ
代表取締役 瀧口 哲士
代表取締役 瀧口 哲士
父親が経営していた土木会社で経験を積み、2001年4月、自らの力で独立し、宅地造成工事業を手掛ける『タキグチ』を設立。「人の和」を大切に捉え、攻めの姿勢で事業拡大を目指す勇敢な経営者。
監査役 波多野 司
人材育成能力や事業を円滑に進める能力に長けているため、社長からラブコールを受け、『タキグチ』の監査役に。長年の土木業勤務で培ってきた知識や技術力、勘や戦略を生かし、会社を力強く支える。
「“ビジネスは情”。これが私の経営信念です」
お客様からの信用を第一に 「高品質・低コスト」の工事に着手
『タキグチ』は、グループ会社3社と共に、著しい成長を遂げている土木会社。同社のトップに立つ瀧口社長は、何よりも“人”を重宝する経営者。「私の人生における大切な人たちが集結してくれたお陰で、今、このグループが成り立っている。そして、これから戦いに挑むことができる」──。このように述べる社長の言葉から、“人の和”を大切にする温かな人間性や、攻めに重点を置いた経営戦略が窺える。人と人との繋がりを糧に、同社は今後益々飛躍するであろう。
…………………………………………………………………………
創業4年を迎える『タキグチ』は、関東一円を中心に、宅地造成工事業・舗装工事業・管工事業・造園工事業・土木工事業、それらに伴う公共工事を手掛けている。現場の人間の安全と、お客様からの信用を第一に考え、「高品質・低コスト」の仕事を重ねてきた同社には、確固たる技術力を持ったベテラン社員や、前途洋洋な若い社員が勢揃い。グループ会社3社との協力体制も抜群で、地域の町づくりに貢献している。そんな成長著しい同社を、女優の三原じゅん子さんが訪れ、瀧口社長と、監査役の波多野さんにお話を伺った。
三原 まずは、社長の歩みから。
瀧口 出身は東京都江戸川区。中学卒業後、様々な仕事を経験した後、父が経営していた土木業の会社に入社しました。出向勤務先の会社で上司として丁寧に指導に当たってくれたのが、現在当社の監査役を務める波多野さんだったんです。それから数年後の2001年、培ってきた自らの経験や技術力を生かすべく、埼玉県狭山市に『タキグチ』を設立。土木工事を主業務とする会社の社長として独立を遂げたんです。そして、2004年には3つの協力会社を設立し、組織のグループ化も実行しました。
三原 基盤会社『タキグチ』と、3つの協力会社の事業内容をお聞かせ下さい。
瀧口 『タキグチ』では、宅地造成工事業・舗装工事業・管工事業・造園工事業・土木工事業、それに伴う公共工事を手掛けています。ハウスメーカーさんからお仕事を頂き、施工に当たっています。埼玉県富士見市にある『ユナイト』と東京都練馬区にある『ダイワランド』もほぼ同業です。そして、これらの土木事業をサポートしているのが、東京都武蔵村山市にある『三光測量』で、測量設計業を手掛けています。
三原 ここ4〜5年で4つの会社を興すなんて、本当にスピーディな展開ですね。
瀧口 2001年に、会社を初めて設立した時は、不景気の真っただ中で、経済的にかなり厳しい状況でしたので、周囲から「何でこんな時期に会社を興すのか」と戒められました。しかし、私は思ったんです。「こういう時期に始めるのが逆にチャンス。時代の変化こそ、企業発展のチャンスだ!」と。
三原 人がやらない時期に、ビッグビジネスの大船に乗られたわけですね。それで、監査役の波多野さんもご一緒に?
波多野 「4つの会社を作り、この業界のトップを目指したい」という瀧口社長の強い志に共感いたしまして、それで、それまで勤務していた会社を辞め、監査役として事業を手伝うことにしました。
瀧口 波多野さんは、会社の柱。私がこの業界に入った1年生の頃からご指導して頂き、かれこれ10年来のおつき合いですので、絶対的な信用を置いています。人材育成能力や、事業を円滑に進める能力に長けている素晴らしい方です。
三原 お互いが良きパートナーなんですね。ところで、社長は現在も現場に?
瀧口 現在は、千葉・埼玉・東京・神奈川を中心に、営業活動に尽力しております。私は、現場から成り上がり、現場監督を経て経営職に就いたわけですから、現場で働くこともいまだ大好きです。しかし今は、抜群の技術力を誇るスタッフたちに現場は任せています。私の使命は、今後更に“攻めの姿勢”で営業活動を続け、事業エリアを拡大していくことです。
三原 社長の経営信念とは何でしょう?
瀧口 「ビジネスは情」。それが私の経営信念です。ビジネスにおいてお金は大事ですが、やはり、全てにおいて情をおろそかにしては、企業としての成功はないと思います。現在、協力会社の社長を務めてくれている人たちも、私が今までおつき合いをしてきた中の大事な方々。皆が集まってきてくれたからこそ、今このグループが成り立っているのです。本当に、人と人との繋がりは大切だとつくづく感じます。お互いに共感・尊重し合い、共通の夢と目標を持てば、1人では決してできないことも実現させることが可能なんですよ!
三原 最後に、今後の目標をどうぞ。
瀧口 社員たちが夢や目標を持って仕事に打ち込める職場環境を作っていきたいです。まずは、狭山市でナンバーワンの企業になりたいので、ここ2〜3年が一番の頑張りどころ。それ故、チームワークを大切に、社員一丸となって攻めの精神で仕事に挑みたいです。また、お客様に信用され満足して頂ける会社であるためにも、社員の人材育成に尽力していきたいです。私は、学歴よりも本人のやる気を重視しますからね!
波多野 営業活動を頑張ることに加え、「人の和」を尊重した職場の環境づくりにも積極的に取り組んでいきたいです。
……コラム……
▼これまでは、ハウスメーカーからの仕事や大きな金額が動く仕事は、大半が大手ゼネコンによって手掛けられていた。しかし、『タキグチ』は、そんな土木業界の事情に怯むことなく、むしろ攻撃的に、自分たちにしかできない仕事を手掛けることに努めてきた。若い人材のパワーや、ベテランの確かな技術力、俊敏な判断や前向きな行動力。それらを武器に、同社が手掛けてきた「高品質・低コスト」の工事は数知れない。これらの仕事が形として残り、同社の実績やお客様からの信頼を築き上げているのだ。
▼また、同社の瀧口社長は、非常に情深い人物だ。「学歴よりもやる気を重視する」と言ってのける現代の社長はなかなかいない。「当社の一番若い社員は15歳。20歳の成人式には胸を張って仲間の前に出れるように、人材育成に努めたい」と話す瀧口社長の言葉からも、「人」を大切にする懐の深さが窺える。
▼チームワークが尊重され、個人の能力がうまく引き出されている『タキグチ』は、今後益々成長を遂げる可能性を秘めている。「最終的には利益を社会や地域に還元できる企業になりたい」と語る瀧口社長の夢が叶う日は、そう遠くないだろう。
対談を終えて
「土木工事は、町づくりに直接携わることができる魅力的なお仕事だと思います。その反面、安全管理が必要不可欠ですが、社員やその家族を守るため、常に“安全第一”を心掛けられている『タキグチ』さんなら、今後も事故なく素晴らしい仕事を手掛けられていくことでしょう。これからも土木工事を通して、人々の快適で豊かな暮らしを支え続けて下さい。一市民として、私も陰ながら応援させて頂きます!(三原じゅん子さん・談)」
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